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東京都墨田区明治通り沿いに大きな商店街がある。キラキラ橘商店街といって、多くの商店が立ち並び昭和の下町の雰囲気を残しつつ今も尚栄えている商店街だ。高齢化社会が進む中この商店街が生き残っている一つの要因として、若い人々が新たに店を開いて人が集まっているというのが挙げられる。商店街入口のすぐ横、明治通り沿いの店「爬虫類館分館」というカフェ&バーは日替わりで店長もメニューも変わる風変りなお店である。日替わり店長もそのお客さんも商店街の近所に住む若者が多い。

 そして商店街をまっすぐ進み八百屋の角を曲がり路地を少し歩くと一軒のお店がある。そのお店は4 bonjour‘s partiesというバンドのメンバー、灰谷歩さんと小畑亮吾さんの2人が空き家をリノベーションして作った六畳ほどの広さのシェアカフェである。灰谷歩さんは「ムームーコーヒー」でコーヒーをメインで担当している。小畑亮吾さんは「サテライトキッチン」としてハーブーティーをメインで取り扱っている。通称「ムーサテ」と呼ばれるこのお店は地元の人々に、カフェ好きな人々に、そして後述するがけん玉好きにとても愛されている。

 今回私はムームーコーヒーの店主である灰谷歩さんに生き方や働き方についてインタビューをした。あえて店内の内装や雰囲気について細かく記さないが、以下の文章を読んで店内の想像が容易にできるようであれば幸いである。

 

 

 

 

 

まず最初にムーサテを始めたキッカケを教えて下さい

 

 

コーヒーは元々好きでバリスタになりたいと思ってて。2009年から2011年の3年間はオーストラリアのメルボルンにワーキングホリデーに行ってたんだよね。メルボルンがコーヒーの街だって後から知ったけどメルボルンの人たちの働き方?ライフスタイルが凄く好きで気に入ったのね。メルボルンの人たちは朝が早くて夕方の5時にはしっかり仕事を終えて夜の時間は自分や家族の為に使う人が多くて。メルボルンに居たときはちゃんとバンド活動してたから夜は自分の作曲活動とかライブを観に行く時間に充てたい、このライフスタイルがいいと思って。超イケてるお店ではなかったけどメルボルンバリスタとして仕事が出来て日本に戻ってもバリスタの仕事をしたいってのがあったね。

 2011年に日本に帰ってきて、オーストラリア人がプロデュースするお店で働いていたんだけどすぐに辞めちゃったんだよね。オーストラリア人がプロデゥースしてもどうしても日本式になってしまうところがあってね。半分、いや9割方は好きだったんだけど残りの1割の日本のルールで納得できなかったんだよ。やっぱり長く働けるのは個人でやってる好きな場所だったんだよね、個人経営のCD屋とかスタジオとかね。独自のルールがあっても納得できて働けたんだよ。大きな組織じゃうまくハマらないなぁってのと、でもバリスタの仕事をしたいなぁってのがボヤっと出てきたタイミングで、メルボルンでの繋がりで分館の店長と仲良くなってね。それからこのキラキラ橘商店街に出入りするようになるの。分館に2か月に1回約1年計6回くらいライブをしに行ったね。別にライブをしに行ったときは特に素敵な街だとも思わなかったかな。でも分館での1日店長ってのには凄く興味があったんだよね。もう既に分館にはコーヒーをメインでやってる人が居たからオレの入る隙は無いなって思って。でもそんなとき同じバンドメンバーがキラキラ商店街の空きの物件を紹介されて、そこで雑貨屋を開こうかなぁって話してたんだよね。いや待って、その物件オレに紹介して!なんならオレがやりたいって話して。そして同じメンバーだった小畑君もこの話に乗って一緒にシェアカフェを開くことになったかな。ワーホリから帰って1年半くらいの2012年12月に空き家の物件を契約したね。

 

 

商店街に新しくお店を改装してオープンするにあたってどうでしたか?

 

 

 元々あった民家をリノベーションし始めたのが2013年の1月の半ばかな。普通にやっばそろそろ工事しないと家賃勿体ねぇーって気持ちで始めてね。オレは派手な目に見えるような成果のでる工事を中心に担当してたね。反対に小畑君はお店の細かいところの作業をやってくれて、ときにはここの2階に寝泊まりしながら作業してたけど楽しかったね。そして2013年の4月に無事オープンしたんだよね。オープンしても商店街の人々も受け入れてくれたし、分館とも上手な付き合いが出来たよね。分館のお客さんがこっちに来てくれたり逆にこっちのお客さんを分館に流したりして。オープンしても商店街の近所の人が来てくれてね、1回もビラ配ってないのにね。全部クチコミだったんだね。

 

 

リノベーションしたカフェとしてオープンして商店街以外のお客さんは来てましたか?

 

 

 最初の1年はお客さんがいろいろと来てくれたかな。ラッキーなことにCafe Sweetsっていう専門誌に1年も経たずに取り上げてもらってしかも表紙だったんだよね。そのタイミングも良くて、2013年くらいから東京に多くのカフェが出来てね。でも下町にはまだ

少なかったから簡単に目を付けてもらって、アンテナを張ってるカフェ好きの人に来てもらったかな。ウチはラテアートもやってるからそれ目当てで来る人も多くて。

 

 

 

 

ムーサテと言えばけん玉も販売しているお店としても有名ですが、ムーサテがけん玉を始めた理由ってなんですか?

 

 

 2014年の春か夏くらいに、シマヲ君ていう近所に住むお客さんがお店にけん玉を置いて行ったのね。普通の日本けん玉協会公認の赤いけん玉。でも公認のしっかりしたけん玉だから民芸品のよりしっかり遊べて、仲間内で持ってたのね。でもそんな中シマヲ君がけん玉のワークショップを開くというのでオレもお客さんとして参加したのね。そこでけん玉を10人以上でやったのが楽しかったのと、新しい海外のけん玉のスタイルを観てかっこいいと思ったのね。元々動画で見てストリートカルチャー寄りのけん玉を知ってたけど当時はチャラいと思ってさ。オレはアメリカけん玉なんていらないと思ってたけど、ミニゲームでオレが1抜けして景品のけん玉を選べたのね。その景品に多くの海外のけん玉が置いてあって中でもDeal with itとKENDAMA USA っていうブランドで迷って、結局高そうなUSAを貰ったんだけど後からDeal with it の方がレアなけん玉だってわかって余計に欲しくなったんだよね。余りに欲しすぎて国内で買えるか探したんだけどオレが欲しいのは売ってなくて困ってたら、あれ待てよ?オレお店やってんじゃん、仕入れられるじゃんってなってそこからけん玉も置くようになったかな。それが2015年の1月とかじゃないかな。

 

 

けん玉も遊べるコーヒー屋ってユニークですよね。ボクもけん玉がキッカケで訪れたワケですけどね(笑)

 

 

 店の目の前が空き地でそこをけん玉基地として遊んでたら多くのけん玉好きが遊びに来てくれたかな。やっぱり普通のカフェよりは遊びが多いカフェで常に取り入れてたね。2階でお客さんと人狼ゲームしたりお店に謎を仕掛けて脱出ゲームみたいなことをやったりね。空き地もけん玉をやる前は卓球台置いて卓球してたからね。でもけん玉が1番ハマって長―く火がついてるかな。自分が楽しいと思ったことは周りにも巻き込んで楽しむスタイル

だからね。

 

 

では歩さんの働き方、人生の考え方についてお聞かせください。

 

 やっぱオーストラリアは大きかった。別にオーストラリアで生き方が変わったわけじゃないんだけど背中は押された感じするよね。なんか今まで、オレはこんなんで大丈夫かなーって思ってたのがオーストラリアで言ったらオレ大丈夫どころか、むしろ日本人的な神経質なところあるんだなってわかったし、オレ細かいこと考えてるんだなって。ジャングルに住んでる人砂漠に住んでる、人オーストラリアに住んでる人日本に住んでる人は結局皆同じ「生きてる」で、日本は豊かな国のハズなのにこんなに悩みがあるんだろって。そうなってくると生き方というか価値観の持ち方が大事かなって思うね。じゃあ1人でメルボルンみたいな生活してみようってここ始めたからさ。ま、メルボルンがここまで緩いかっていうと話は別だけどね。オレが感じたメルボルン的な生活って意味ね。自分が観て感じた価値観でやってみよう、そんな感じすね。

 

 

 

 最後に今の生き方、どうですか?

 

 

 

やっぱ自分のやりたい生き方が出来てるからこの4年間楽しいよ。理想の生き方とお金を天秤にかけたら自分の生きたいように生きたいってのが強くて。お金があれば尚いいんだけれどしたい生活ができているから満足です。お金以外はね(笑)

 

 

 

 

 

 灰谷歩さんは現在、ムーサテの50mほどの距離に新たな物件を借りてファラフェルサンドという中東料理を取り扱う店舗を開くため、また空き店舗をリノベーションして準備をしている。近所の人々にはサンドイッチ屋が出来るという誤報が飛び交ってるらしいけれど、そんなことをモノともせず特に大きなプランも無く、オープンしたらなんとなく考えるらしい。そんな灰谷歩さんの生き方に今回のインタビューで残念ながら、ボクは非常に魅力的に感じてしまった。新店舗の開店を首を少しだけ長くして待とうと思う。